中京競馬場「未勝利戦」観戦記
2003年3月15日(土) 中京競馬
中京競馬場へ
中京競馬場といえば中央競馬だけでなく地方競馬も開催される競馬場。
地方競馬に興味を持ち始めた早い時期から遠征を考えていたが、2002年正月開催から地方競馬が開催されなくなってしまい、観戦するとなれば中央競馬開催ということに。
一口馬主クラブのラフィアンに入会し、初めての出資馬であるマイネパッサージュが昨年秋にデビューしたもののわずか3戦さっぱりの成績で休養に。
そのマイネパッサージュの約4か月休養後の復帰戦が中京競馬場というので、全出走レースの観戦継続とあわよくば初勝利の期待をかけて遠征することにした。
中京競馬場、所在地は名古屋市郊外の豊明市で名古屋競馬場の方がよほど東海地区メインの競馬場らしい立地。
さて、当日は新大阪駅から新幹線で約1時間かけて名古屋駅へ。
名古屋駅でJRから名鉄に乗り換えて急行乗車。
競馬開催時に臨時停車というのでそのまま20分かけて「中京競馬場前駅」へ。
中京競馬場
沿線はあまり住宅もなく都市郊外の風。駅だけ綺麗で立派な建物。
ちゃんと「中京競馬場」のアーケードのある少しばかりの駅前商店街を抜けて、徒歩で中京競馬場へ。
無料ファンバスもあるが歩いても行ける距離。
真っ直ぐの道の正面に忽然と競馬場が。
屋外エスカレーターを昇って競馬場入り口へ。
徒歩での入り口はちょうど競馬場東端で回廊を抜けて場内へ。
第1レース開始前に到着も土曜開催とはいえ中央競馬開催とは思えぬガラガラの観客の場内。
指定席はまだまだ売れ残っているが、一般席へ。観客席に陣取り恒例の場内見物。
JRAの競馬場なので今更書くまでもないが、スタンド、コースとも立派で綺麗な施設。
パドックが掘り込んだ形状になっており、階段状の近くまで寄らないと全く馬が見えないのが特徴か。
場内見物している内に、マイネパッサージュの出走する第4レース未勝利戦が近づく。
目当ての未勝利戦
マイネパッサージュ、競馬ブックでは「今少し走る筈」のコメントで少しばかり印もついており多少の期待。
フルゲートの16頭出走で目指すは8着入着。
まず、発表された馬体重は402KGと復帰前から8KGのマイナス。
厳しく乗り込みをされているとはいえ、成長が期待されていただけにちょっとびっくり。
続いてパドックに現れたパッサージュはこれまでになく落ち着きがない。
何か様子が違うなあと思っていたら、すぐに粗相をしてしまい、かなり入れ込んでいる模様。
パドック中、終始クビの上げ下げなどうるさい様子で、写真を撮ろうとしても、ちゃんとフレームに収まらないので困ることしきり。
内田騎手が騎乗しても落ち着きがなく、騎手が御しきれない感。
本馬場入場の際も同様で、他の馬がさっそうと待機所に走っていくのに、何やらバタバタしていて一頭だけ誘導馬の後を付いていっていつまでたっても走らない。
この時点で私としては大丈夫なのかなあという暗い気分に。
芝2,000mのレースは、いつもの好スタートがなく、やはりバタバタした感じで、集団にとりつき、そのまま後方待機。
しんがりから3番手の4コーナーからようやくしっかりした走りになるものの、これまで同様に伸びもなく11着に。
この日は一言で「気性が悪かったなあ」だったが、馬体もこれまでと同じで、レース展開も同様で、成長が全く感じられなかったので、正直なところがっかり。
気性はともかく、馬体の大きな成長が望めそうにないので、今後に向けて暗澹たる気持ちに。
そのまま競馬を続ける気力もなくなり、別の目的もあって、レース後昼食をとって競馬場を後にする。
桶狭間古戦場
別の目的、それは桶狭間古戦場跡の見物である。
実は、遠征前に競馬場周辺の地図を見て、びっくり。
中京競馬場の場所は何とあの歴史に名高い桶狭間で、駅前が古戦場跡なのである。
歴史ファンとしては、競馬場に行ったら是非寄って帰らないかんということで競馬観戦も早々に古戦場跡を見物という訳である。
競馬場とは裏側にある藤田学園本部の立派な建物の裏にちんまりした公園。
これがあの桶狭間古戦場跡で、写真でよく見るあの石碑に首塚などが公園内に。
古戦場跡とはそういうものだが、周囲とは隔絶された中にぽつんと石碑があるだけで、後はここで昔に…の想像の世界。
少し離れたところにある高徳院を拝観して、今回の中京競馬場遠征を終えることとした。
今回の競馬場遠征、場内滞在時間はわずか2時間半ほどと、競馬観戦とはいえないような遠征であった。